浅科村は佐久平のほぼ中央に位置し、長野県下の村では面積が一番小さい村でした。(平成19年佐久市と合併)
東西5km・南北6.5km、標高610m~830mのゆるやかな丘陵に囲まれ、河岸段丘上に集落・農地が形成されています。
水稲を主体とした農業の発展により、集落が点在し形成され、江戸時代市川五郎兵衛が蓼科山を源水とする河川から切り開いた用水路は現在でも水田を潤し、そこで収穫された米は全国でも屈指の良質米として高く評価されています。
東西5km・南北6.5km、標高610m~830mのゆるやかな丘陵に囲まれ、河岸段丘上に集落・農地が形成されています。
水稲を主体とした農業の発展により、集落が点在し形成され、江戸時代市川五郎兵衛が蓼科山を源水とする河川から切り開いた用水路は現在でも水田を潤し、そこで収穫された米は全国でも屈指の良質米として高く評価されています。
佐久市浅科のご紹介
市場に出回らない希少性から「幻の米」ともいわれるブランド米「五郎兵衛米」を産出する肥沃の地、五郎兵衛新田は、以前は不毛の草原でした。江戸時代に市川五郎兵衛という人物が私財を投じ、自ら水源を探して水を引き、水田を整備して現在の穀倉地帯の基盤を築いたのです。市川五郎兵衛真親の偉業を顕彰し、関係する古文書約3万点と周辺地域の古文書約3万点等を収蔵した五郎兵衛記念館で、その歴史に触れる事が出来ます。
また、旧中山道23番目千曲川川越しの宿として栄えた「塩名田宿跡」、皇女和宮が降嫁の折りに宿泊した24番目の宿場「八幡宿跡」があります。戦の神として祭られた八幡神社の境内には国指定重要文化財「高良社」があり、今なお残る文化遺産は、村の歴史を今に伝えています。
①写真左上/道の駅ほっとぱ~く・浅科 ②中上/中山道塩名田宿 ③右上/五郎兵衛記念館
④左下/あさしな温泉 穂の香の湯 ⑤中下/八幡神社 ⑥右下/駒形神社